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まず、日本型雇用システムを「日本型」と呼ぶことじたいがいささかミスリーティングだということがあります。この名称では、日本の労働者はみんなそうだという誤解を招きかねません。しかし、もともと典型的には大企業正社員だけのシステムだったんです。企業規模が小さくなればなるほど、正社員といえどもそんな保障は薄れていきます。中小になればもっと少ない。零細になればほとんどない。
見返りもないのにことごとく忠誠心をつぎ込むなんてばかげたことは、普通しませんよね。それが世界的に見れば、普通の労働者の行動パターンです。日本の明治時代の労働者だって流動的で、1年経てばみんな職場を移動していました。しかし、高度経済成長が終わった後に、メンバーシップの基盤がない中小零細企業にも、大企業正社員型の働き方が、労働者のあるべき姿のイデオロギーとして規範化していきます。何がそれをもたらしたかというと、ふたつあります。
ひとつめが判例法理です。日本の労働法には、民法や労働基準法が前提としていない、いわゆる大企業正社員型の判例法理があります。整理解雇四要件だとか、就業規則の不利益変更法理、あるいは時間外労働や配置転換の法理です。要するに「会社の言うことを聞くんだったら、それだけ守ってやるよ」という社会的契約が判例法理に入っているのです。
これが確立したのは実は70年代、高度成長終了後です。もちろん大企業でそういう社会的契約があったからそれが判例法理になったわけですが、長期的な保障なんてあるわけない中小零細企業にまで、この判例法理が社会規範として広がっていったという側面があります。最高裁の判決には、大企業のみに限るなんて書いてないわけですからね。
もうひとつは少し大きな話ですが、70年代以降、知識社会学で言う「日本人論」が流行します。60年代までは、「日本は前近代的で封建的だからダメなんだ。もっと欧米みたいな社会になりましょう」という議論が、山のように論じられていました。
ところが、これがガラッと変わって、70年代~80年代には「日本はこういう社会だからいいんだ」という日本賛美的な言説が非常に流行し、90年代以降また流行らなくなります。そこで描かれた日本人の姿というのは、近代化以前のものと、近代を通り過ぎた後の大企業正社員型のものがない混ぜになったものです。これが、知識人の世界では忘れ去られるんですが、日本人の行動規範として大きな影響があったのではないかと思います。人々にとって社会の基本的なイデオロギーとしてはずっとこの規範が残っており、むしろ強化されているのではないでしょうか。
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